蛙(かわず)大海を知り井に帰(き)す

福島民報の民報サロンに寄稿させて頂きました。

近しい友人しか知らないであろう私のこれまでのことを書きました。都会に出て様々な経験をしてUターンで福島に戻る。ここまでの道のり無駄も多いかもしれないけど、そこにはあなただけしか通っていない道があり、広がった知見は決して無駄ではなく今に繋がっているんです。同じ気持ちでいる若者にも是非届いて欲しいなあ。

福島は、あなたの地元は、いつでもあなたの帰りを待っていますよ!


「蛙(かわず)大海を知り井に帰(き)す」

♪広がる空の下 狭い世界は反比例 未だ田舎の中は井戸の中 狭い世間でくっちゃべってまた―。

過去に私が書いた歌詞だ。田舎生まれ田舎育ち近所の年寄り大体友達(というと少し脚色しているが、有名なワンフレーズをもじってみた)。高校時代まで過ごした地元では、誰もが知り合いの田舎コミュニティーに窮屈さを感じていた。いや、当時は窮屈さよりも嫌気が差していたのかもしれない。

 都会での生活に憧れ、高校卒業後、親元を離れ大阪の大学に進学した。知らない場所、知らない人、私だけの家、新しい友人、かせが外れたかのように自由を謳歌(おうか)した。学生生活を送る中で、共通の趣味の友人や先輩たちと音楽活動にのめり込んでいった。
 ヒップホップやラップという音楽は、今ほど市民権を得ていなかったが、1990年代後半から2000年代前半に静かな盛り上がりを見せていた。高校生の頃からラッパー(ラップをする人)に憧れていた私は、学生時代の多くをこの音楽にささげた。その結果、運が良かったのか悪かったのか、このムーブメントの渦中の端っこに、ラッパーとしてエントリーすることができた。さまざまな楽曲に参加し、ライブも各所に呼んでもらえるようになった。

 その流れや周りの協力もあり某有名レコード会社と専属契約するまでにこぎ着けた。「好きな音楽でお金を稼ぎ、暮らしていける」。そんな夢のような時期が数年間続いた。しかし、良い時期はそう長くは続かない。調子に乗っていた私はハッと気づくと、アリとキリギリスでいえば完全にキリギリス状態になっていたのだ。

 再チャンスを求めて東京に拠点を移し、アルバイトをしながら食いつなぐ日々。その最中に制作したアルバム(結局最後のアルバムになった)は注目され、話題を呼んだと個人的には思うのだが、残念ながら大きなセールスにはならなかった。音楽業界がCDから配信に変わる過渡期だった。このまま好きを貫き通して夢を追い続けるか、それとも決別するか。30歳を過ぎ、いよいよもって人生の大きな岐路を真剣に考えた2011(平成23)年。そんな時に東日本大震災が起きた。

 震災が起き、悪夢のように故郷が変わりゆく様を見て、自分の無力さを痛感した。その時に私自身もっと結果を出していれば、音楽を通して何かできることがあったかもしれないが、それほどの実力はなかった。未曽有の災害に直面する福島を見て、若い頃に嫌だった故郷が、まるで自分の体の一部のように感じたその時。「そうだ、福島へ戻ろう」。そう決意し戻ったものの、音楽ばかりやってきた私には他にアピールできる武器は何もなかった。

 福島を直接的に活気づける仕事がしたいと、不動産業の門をたたいた。郡山市本町の会社で多くの経験を積み、その後独立し今に至る。ここまでの道のり、感謝しかない。ここまで来るには遠回りもあり、無駄の多い人生だったかもしれない。でも、その全てが今の私を形成し、今の仕事へと通じている。それはまるでバタフライエフェクトのように波及し、私の意識を変えたのだ。今では仕事を通して地域コミュニティーづくりとまちづくりに取り組んでいるのだから。(郡山市安積町、コノマチ不動産社長)

福島民報 2025年5月1日 朝刊より